歴史というものは、勝者によって創られる
いわば「ねつ造史」だと、何故誰も疑わないのだろうか。
人々は恐怖に囚われ、甘言に酔い、思考を奪われていると
…誰ひとりとして、疑いもしないのだ。
この世界の歴史を動かすもの、それは何か。誰か。
敗者となって抹消された人々はどんな人物だったのかなど
正史として語り継がれることなどない。
歴史から消され、あるいは正史のために「贄」とされるのだ。
そう、あの心優しい王のように。
私は一人のノアミアとコンタクトを取った。
彼女は旅一座の踊り子だという。
奇遇にも彼女は古代語(現在の言語ではない言葉)にも精通しているという。
完全なる中立者を巻き込むことは忍びなかったが仕方がない。
彼女に事情を話したところ、快く引き受けてくれた。
偽りの正史に興味はない。
ただ、そもそもそんな小さな枠に囚われてはいけないのだ。
この世界における「歴史」のパーツが欠けてはいけない。
まだこれを「正史」にされては困るのだ。
この世界を取り巻くものを、知ればいい。
歴史などただの都合のいい勝者の戯言に過ぎないのだから。
この歌は、終わってなどいない。過去などではない。
始まりは、ここにある。反撃の準備は整った。
今を生きるものたちが歩く道こそが、歴史なのだ。